話せなかった私へ、そして誰かへ

おかえりなさい。今日も一日、お疲れさまでした。

今日のテーマは、ずばり「不妊治療教員 ✕ 教員」についてです。

私は、体外受精で娘を授かりました。

教員として働きながらの通院は本当に大変で…

我ながら本当によくがんばった!!!

誰も褒めてはくれないから、自分で自分を褒め称えたい(笑)

ここから先は、少しずつ当時のことを思い出して書いていきたいと思います。

当時は辛かったときも多くて、

友達や家族、ましてや職場の人になんて話せない…! って感じでした。

今も話づらいところはあるけど、もし、同じ境遇にいる人がいたら、

「ここに仲間がいるよ」と伝えたい思いで書いています。

興味がある人は、こんな人もいるんだなって、

一例として見てください。

まずは、今までの治療経歴をざっと振り返ります。

① 「まだ子どもはいいよね」ステージ

 結婚後半年は高学年を担当していたこともあり、

 そして、何よりお互いに20代だったこともあり、

 子どものことは後回し。妊娠・出産へのイメージが薄かったなぁ。

② 「独自のタイミング法実らず」ステージ

 仕事も一段落したところで、夫婦でタイミング法を試みるも、結果が出ず。

 夫は楽観視していたけれど、私は密かに

 「〇〇までに妊娠しなかったら婦人科に行こう」と心に決めていた。

③「婦人科でタイミング法」ステージ

 妊娠に至らなかったので、婦人科を受診。

 夫婦で一通りの検査をした。

 私は、「多嚢胞性卵巣症候群」だった。

④「不妊治療専門クリニックへ転院」ステージ

 婦人科で1年タイミング法にチャレンジするにも実らず、

 近くの不妊治療専門のクリニックへ転院。

 ここで、人工授精、体外受精を行い、妊娠に至る。

こうやって、書き出してみると意外とシンプルなのかしら。

ちなみに、①から④の出産までは、3年半かかりました。

もっと長く不妊治療をやっている人もSNSで見かけるから、

もしかしたら私の治療は短いほうなのかもしれないけど、

ひとつひとつのステージで、今までの人生で出会ったことのない感情に振り回されました。

いきなり決まる次の受診日、お願いしてもいないのに毎月きてしまう生理、

そして仕事との両立…。

涙を流しながら帰宅した日もあったような、なかったような。

そんな私の教員 ✕ 不妊治療の日々を無理のないペースで、少しずつ書いていきます。

当時の私に、そして誰かの心にそっと寄り添えたら嬉しいです。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

Aina

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